タグ:劇団俳優座『罪と罰』感想 ( 13 ) タグの人気記事   

『罪と罰』感想を転記   

本サイトのほう、すべての掲示板を一時的に閉じました。サイトの「『罪と罰』感想掲示板」にUPしていました、小山力也さん主演、2006年10月劇団俳優座公演『罪と罰』感想下書きは、自分でいつでも見直したいので、ここにコピーして仮UPしておきます。感想は、(1)~(11)まであります。

私も家族も元気に暮らしていますし、何かあったとか、御心配頂くようなことではありません。ブログもあまり更新できなくなると思いますが、必ず復活しますので、宜しくお願いします。
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by lily63 | 2007-07-01 11:58 | 演劇 | Comments(0)

(その1)心を柔らかくする芝居   

(その1)心を柔らかくする芝居 投稿者:リリー 投稿日:2007/03/14(Wed) 13:31 No.259

以下は、最初2006年11月21日に掲示板にUPしたNo.160の私の書き込みです。今、感想を改めて下書き中です。
この「心を柔らかくする芝居」から始まる感想がどうなっていくか、自分でも楽しみです。お付き合い頂ければ嬉しいです。なお、しばらくここに下書きをUPするので、申し訳ありませんが、レスはつけないで、見守って下さいませ(^^)。

~~~~~~~~~~~~~~~~
小山さんに感想のお手紙を書こうとして書けないのだが
次のような文を下書きとして書いている。
===============
「『罪と罰』から頂いたものは今までの人生全体に匹敵するほど大きく、本当に意味深い気付きを与えていただきました。

「心を柔らかくする芝居」。

千秋楽後の私にとりましての、小山さんのこのお言葉の意味は
「こんなにほとんど崩壊してしまった世界を今現に生きていて、
内心は子どもの頃と変わらず怯えていて、心の奥はあさましく、醜い。
そんな自分のままでも、優しい女らしい気持ちを持って、
世界にふわっと身をもたせかけて、心柔らかく生きていくことができる」
という確信、拝見しながら自分の身体を通して得た実感でした。

拝見できて幸せ、有り難いという言葉だけではとてもとても言い表せないことでした。
===============
(注1「心を柔らかくする芝居」:しんぶん赤旗10月3日付けインタビューで小山さんが仰っているお言葉。
インタビュー全文は俳優座さんHPに転載されています。トップページ→Press Room)
(注2「心の奥はあさましく」:「あさましい」という言葉が劇中に出てくる)

なぜ、このような感慨が起こってくるのか。
これからいろいろ、メモとして書いていきたいと思う。
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by lily63 | 2007-07-01 11:57 | 演劇 | Comments(0)

(その2)千秋楽   

(その2)千秋楽 投稿者:リリー 投稿日:2007/03/14(Wed) 13:37 No.260

千秋楽に観に行けて、本当によかったな~と思っています。
『罪と罰』公演は10月でしたが、直前1カ月ぐらい私生活もばたばたしていました。10月8(日)・9(月・祭)日と観劇したのですが、7日の夜は修学旅行から帰ってくる長女を伊丹まで迎えに行ったりして帰宅が遅くなり、結局一睡もしないまま、8日早朝に上京。

寝てない上に、6年間願い続けた劇団本公演(しかも主役!)を観に行く~!ということで、過度の緊張状態ですから、新幹線の中で眠ることもできませんでした。大好きな俳優さんの晴れの舞台を、そんなコンディションで拝見したことが、本当に悔やまれることでした。

9日に帰阪してからの思い。私の中では、ラスコーリニコフがシベリアに行ってからがどうもうまく胸に落ちなかったので、それがもう悔しくて悔しくて仕方がない。2000年に『我らが祖国のために』を拝見して以来、また是非、劇団本公演に出演して頂きたい!その時はぜひ主役で!とず~と6年間毎日(^^)願い続けてきたのに、『罪と罰』に対する私のこの中途半端な鑑賞の仕方というのは何だろうと思いました。

あそこは飛躍がありますよね。「私が殺しました!」と告白するまでと、シベリアに行ってから以後で、飛躍があるし、シベリアに行ってからでも、最初と最後では、ラスコーリニコフの内面は違っている。しかも、セリフで細かく説明されるのでなく、無言の表情による演技が多かったため、シベリアでのラスコーリニコフとソーニャについて、自分なりに納得できる感じ取り方というのが出来なかったのが、本当に後悔してもしても、し切れないほど悔しかったです。こんないい加減な見方しかできないなんて、お前は、一体6年間何をしてきたのか?ということになる。

小山さんの舞台は緊張してしまうとか、前の日に寝てないとか、そういうことは言い訳にならないので、このまま、こんな見方のままで終わったら、一生後悔すると思いました。日ごとにその思いが募って、結局、12日木曜日の夜遅くに俳優座さんのメールフォームからチケットを申し込み、翌13日金曜日に俳優座さんに電話で確認を取り(取れてよかったです)、15日にまたまた早朝、慌てて上京したという次第。

千秋楽の舞台は、本当に特別でした。何かが乗り移ったかのような、ラスコーリニコフそのものの演技。先に観劇した8日9日の時とは、放たれるオーラが、艶が、内面の深みが(それまでだって言葉にできないほど素晴らしかったのにその上に)格段に違いました。それまでは、終わって、役者さんが皆さん揃ってお辞儀されて幕が下りたら、すぐ明るくなって、そのままお客さん帰ってましたよね?(私が拝見した8日・9日はそうでした)

でも千秋楽は違いました。幕が下り切って、客席のライトがついても、お客様が席を立とうとせずに、ますます大きくなる拍手がどうしても鳴り止まないのです。かなり長い時間でした。そして、小山さんと若井なおみさん(ソーニャ役)がお二人だけでもう一度出てきて下さいました。さらに大きな拍手。

この再び登場されたときの小山さんは、まだラスコーリニコフが残っていてちょっと放心状態のようにも見え(ややうつむいて出てらしたんですよね)、でも舞台上にいた、 あのラスコーリニコフそのものとも違う、とても慎ましくて、柔らかで、強靭で、深い情熱を秘めている。何か若い求道者のような清らかさ、冒しがたい神聖さとまで言ってもいいようなものがありました。そのようなお姿をこの目で見て、劇中で何度も泣いたのに、また涙があふれました。
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by lily63 | 2007-07-01 11:56 | 演劇 | Comments(0)

(その3)優しく柔らかい光   

(その3)優しく柔らかい光 投稿者:リリー 投稿日:2007/03/14(Wed) 16:45 No.261

10月8日、最初の観劇は、緊張していただけでなく、あの膨大なセリフを追いかけていくのに必死で、余裕が全くありませんでした。
しかし9日2度目の観劇で、ポルフィーリーがラスコーリニコフをどんどん追い詰めていく時、優しく柔らかい光が舞台上に降り注いでいたように見えました。

小笠原さんの聴いていて気持ちの良い、シャープでリズミカルなセリフ。対する小山さんの、拗ねたような表情。セリフの応酬を重ねるポルフィーリーとラスコーリニコフを上から優しく包むような光、あれは一体何だったのか。

再度上京した理由は、先に書いたように、一つは、シベリアに行ってからをもっとちゃんと感じ取るため。そしてもう一つは、あの柔らかい光が何なのか確かめるために。重いといえば重いけれど、とても優しい芝居でもありました。
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by lily63 | 2007-07-01 11:55 | 演劇 | Comments(0)

(その4)絵になる   

(その4)絵になる 投稿者:リリー 投稿日:2007/03/14(Wed) 17:17 No.262

特に1回目の観劇では、セリフを追いかけるのに必死で(特に前半)、内心ちょっとしんどかった私ですが、3回目に見た時には、このお芝居って、こんなにも絵画的だったんだ~と思いました。

どの場面も、絵になるシーンばっかりなんですね。冒頭、登場する所もそうだし、老婆を殺す所もだし。

自分を追いかけてきたポーレンカと話す所も、絵にしたらきっと美しいですね。あそこはお気に入りシーンの一つです。

僕のことも好きになってくれる?僕のためにお祈りしてくれる?(セリフはこの通りではなかったかも)と言う所がありますよね。あれは、ラスコーリニコフの、あんなに怯えて生きながらも、優しくて美しい心が表れた、小山さん特有の柔らかさがそれをうまく表現された所で、ラストシーンと響き合っていて、今思い出しても、本当に綺麗でしたね~。

もちろんソーニャとのやりとりも、スヴィドリガイロフの自殺に至る所も、ポルフィーリーがラスコーリニコフを尋問する場も、そのほか書き切れませんが、もちろん白鳥の踊りと、あの放心して観てしまったラストシーンと、どれも、絵に書き起こしたら、どんなに美しくてドラマティックだろうなと思う。

セリフを確かめる為に台本を読むと、蘇ってきて涙ぐみそうになります。
ポーレンカと話した後、引っ込む前に、一人で言うセリフ。「でも俺は、しもべラスコーリニコフのことを祈ってくれなんて頼んだな」。

はっとして、切ない気持ちになる場面でした。
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by lily63 | 2007-07-01 11:54 | 演劇 | Comments(0)

(その5)好きなシーン   

(その5)好きなシーン 投稿者:リリー 投稿日:2007/03/14(Wed) 22:05 No.263

好きなシーンは、いっぱいありますよ。 そりゃあ、あのラストシーンはもちろん好きですし、ほかにもいっぱいありますけどね、でもやっぱり一番好きなのは、スヴィドリガイロフの観る幻想、白鳥の踊りのところですね~。

白鳥の踊り。小山さん、本当に美しかったですね~!!柔らかくて、美しくて、セクシーで、スピード感にあふれていました。あの場面全体の持っていた、明るさと哀しみと、ふっと突き抜けた感じ。「すぐに過ぎる、真実美しい瞬間」というものだけが持っている、はかないが、はかなくない強さ。拝見できて本当によかったです。

1回目は小山さんだけを追うのに精一杯。2回目は全体を観ました。3回目は、もうこれで最後だ!と思ったら、かえって気持ちが落ちついて、ゆったりと観ることができました。ほんとに美しい~!スタイリッシュでした。そして、柔らかだった。肩先から立ち上る、柔らかさ、色気。短い場面ですが、堪能できたので、鑑賞として思い残すことはありません。

踊りがもう終わるというラスト30秒ぐらい、小山さんの肩先や、すっと上に伸ばされた手先から出ていたオーラは、ああ、これは、昔の上方の歌舞伎役者の柔らかさだ~と拝見しながら思ったですよ。
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by lily63 | 2007-07-01 11:51 | 演劇 | Comments(0)

(その6)ラストシーンの解釈について   

(その6)ラストシーンの解釈について 投稿者:リリー 投稿日:2007/03/14(Wed) 22:25 No.264

あのラストシーン。ソーニャの胸に崩れて行った、悲しく苦しく、甘く、心で泣きながらソーニャに身体を預けた時に、す~っと、ゆっくりのけぞらせた首からあご、痩せた頬に至る全体が、一段明るくなった柔らかいライトに映えてどこまでもきらきら輝いていた。

あれはもう、放心して観た。
そして、私は、あのラスコーリニコフを魂が救われた姿とは見ない。

小山さんの身体表現の柔らかさ、深さに対して、あの場面は、若井さんの硬さが、はっきりわかる場面だった。お二人の俳優としての力量の差がはっきり見えてしまう。途中から、小山さんしか目に入らなくなってしまった。身体の柔らかさが違う。セリフを伴わない身体だけでする表現の巧みさが全然違う。(キャリアが違うので当然なのだが)

セリフで絡む所では若井さんは小山さんと、堂々と対等なのに、セリフのない所で、力の差がはっきり出てしまう。でも、そこがまたよかった。ソーニャ(役の女優さんが)が硬い、小山さんに比べるとまだ未熟なところが良いのだ。

演じる役者に着目して観た時、柔らかく成熟して、より高い境地にいる人が、相対的にはまだ硬くて未熟な人に救われるという構図がとても、この物語の主題と(結果的に)うまく合っていたと思う。人と人は、より上位の人が下位の人を助けるとは限らない。水準のそろっているもの同士で手を伸べ合って、救い合うというばかりではない。

ソーニャ役が、若井さんで本当によかったと思った。私の好きなタイプの女優さんだ。何よりも、こせこせしない、大らかな雰囲気をお持ちだもの。

ベテラン、中堅、若手と、うまくかみ合った素晴らしいアンサンブルの舞台だったから、そこから思いが更に飛ぶ。
そう、集団で何かするって、力が同じ水準に揃っている者同士が一緒に協力するのではない。それまでの経験、技術、力量の違う者同士が、同じ舞台の上に立って一つの世界を作り上げる。
お芝居だけではなくて、人が人と生きるってそういう風に、そろってない者同士が助け合うということ。より力を持っている上の人が、より弱い下の人を助ける、というだけではないということ。 逆もあるんだ。

それが人が人の中で生きていくということだ。

あら、何故、「救われたとは観ないのか」が書けていませんね。済みません。後からまた来ます~。
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by lily63 | 2007-07-01 11:50 | 演劇 | Comments(0)

(その7)いろいろメモ   

(その7)いろいろメモ 投稿者:リリー 投稿日:2007/03/14(Wed) 23:09 No.265

●わかりやすい?
身近な人間、というだけでなく、高みにのぼるというか、人間全体を描くというのか、うまく言えないけれど。あの『罪と罰』ラスコーリニコフを、わかりやすい、身近な等身大の人間とか、言われるのは、抵抗がある私。特にシベリアに行ってからの表現は、それほど「わかりやすく」はないし、身近な等身大の若者というのでも、必ずしもない。
う~ん、ここは何がいいたいかというと、後でちょっと整理しますね。

●小山さんの強み
痛々しく、つらすぎて目をそむけたくような繊細な姿、というのではない。あれほど傷だらけになって生きているラスコーリニコフにあらわれる、愛嬌、損なわれない明るさ、人柄の良さ、ユーモア、人懐っこさなど。そういった何とも言えない明るい魅力が随所でにじみ出る。シリアスなお芝居をされた時に輝く小山さんの強み。主題にうまくつながってゆくもの。 小山さんのニンに合った役ですよね~。

●自由自在な
感情の変化が自由自在で、説得力があること。観客がもうついていけない~ということがないのだ。ラスコーリニコフの心理が、くるくると変わっていくことが、実にその場面ごとに共感できる。素晴らしいですね。ソーニャに駄々っ子のように振舞う所とか、きついことをいう所、逆に、彼女に一喝されてしまうような所もお気に入りな私です。

●最後を私は「救済された」とは見ない。「それでも手を伸べる」ということが大切。「許す(あるいは許さない)」とか「救われる(あるいは救われない)」がそれほど大きな問題だとは、私自身が思っていないのかもしれない。人は、救われなくても、死ぬまで生きていかなければならない。それが生きるということ。別に救われる必要はないと思うけど。

●男の子の母親は長男に依存し、女の子の母親は長女に依存する。典型的な二人の母。

ソーニャの母、最初の2回は、痛々しい姿に見えたのに、千秋楽では見方が変わった。少し共感できたのだった。

●虱か人間かの問題。立っている場所が狭いという問題。
そういう意識が、私は若いときでも、あんまりなかった。何故なかったのかしら。よくわからない。

立っている場所が狭かろうが、広かろうが、立っている大地に突然亀裂が入るかもしれないし、崖が本人の目に見えていようがいまいが、気づいていないだけで、半歩踏み出しただけで崖から落ちるということもある。しかし、大地の裂け目に、あるいは崖先から落ちたとしても死ぬとは必ずしも限らないのだ。

虱。強い力によっていとも簡単にその生をにぎりつぶされてしまう、とるに足らない、ちっぽけな存在。人に忌み嫌われる。であっても、誇り高く、人間らしく生きていくことはできる。いや、そうでなければいけない。

私は実際、自分を「虱」だと思ってきた。そのことと、誇り高く生きるということは両立し得るとも思ってきた。今もそうだ。

若いラスコーリニコフは、「虱でありながら誇り高い人間であり得る」とは考えていない。多分、彼の境遇の方がどん底だからで、私はやっぱり、生き方が甘いですからね~。「虱でありながら人間であり得る」だなんて、ちょっと観念的かしらね。いやいや、実感として、ほんとにそう思うんですけどね。30代ぐらいからずっとそう考えてきたような気がする。

●女の描き方の問題。「オセロー」と比較した時。まゆのさんにお返事をした、この掲示板No.177の投稿を後でもう一度読むこと。
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by lily63 | 2007-07-01 11:48 | 演劇 | Comments(0)

(その8)最初2回と、千秋楽の見方の違い   

(その8)最初2回と、千秋楽の見方の違い 投稿者:リリー 投稿日:2007/03/15(Thu) 00:00 No.266

最初はスヴィドリガイロフに、「身につまされる」共感を覚えた。彼は、人との関係の持ち方が間違っている。けれど、私は彼を笑えない。武正さんのスヴィドリガイロフは、どことなく愛嬌があって憎めない。来世について、ラスコーリニコフとしゃべっている所がはっとして面白かった。

舞台上に生きる人達が、生きて、押しつぶされて死んで行く姿が胸に迫ってつらく、また、自分の大人になってから20年余りの様々な出来事が思い出されて、舞台と重ねて、泣けてきた。

最初2回は、ラスコーリニコフに共感できなかったということではない。やっぱり最初は呆然として、心奪われて、観たところがあったよなあと思う。

千秋楽では、本当にラスコーリニコフに心を寄り添わせて観た。そして、舞台上の人達のありようが、ただつらいというだけでなく、それぞれに「愛しい」と思えたのだった。どんなにずたずたになって、生きて、死んでも、ああ、人間って愛おしいという感慨が、千秋楽の舞台の後半には強く、身の内に起きてきたのだった。自分の実人生の経験をもう一度思い出して重ねても、不思議に悲しみながら自己肯定できるようなものでもあった。
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by lily63 | 2007-07-01 11:45 | 演劇 | Comments(0)

(その9)まだまだメモ   

(その9)まだまだメモ 投稿者:リリー 投稿日:2007/03/15(Thu) 01:19 No.267

●どのお芝居でも、また今回も、舞台上にあらわれた小山さんを、小山さんと思って観たことはない。登場から幕切れまで、その役その人として舞台上に生きている。

●虚構の物語世界の方が強靭で確かなものであること。

●ポルフィーリーは
秩序正しく進む「時」と、法制度などの「体制」「権力」を体現した人物。
そして、父なきラスコーリニコフにとって、第2の父である。
何故、自白したことを後悔するか。
大きな力に負けたことが屈辱だから。
「父」を乗り越えられなかった、どころか、「父」に押さえ込まれてしまった敗北感。

●「好きなシーンいろいろ」について。

●ラスコーリニコフについて
ラスコーリニコフは若い。実社会での経験がない。金も力もない。
自分の生が、また、自分の愛する家族の生が、今にも押しつぶされそうで、不安でたまらない。
不安に押しつぶされない為の杖として、「権力を手に入れなければ」と願う。
彼の言う権力は、少しも実体のないものだ。
本当の権力は、合法的に人の命を奪い、自由を奪うことができる。
しかし権力を持つ側になど、ふつうの青年は絶対に行けない。

彼の歩みは痛ましいが、けれどもいつも、とても魅力的だった。
感情表現が自由自在で、スピード感がある。思わず自然に共感してしまう。
ああいう、ともすれば痛々しさが強く出てしまいがちな人物像に
心の奥の美しさや柔らかさ、明るさ、愛嬌、思わず微笑んで見てしまう、子どもっぽさなどを
自然とにじみ出させるところが小山さんの大きな強みだ。

●「私が殺しました!」から、自白したことを後悔と告白、そして、ラストシーンに至る心理変化は
どういうものか。
ソーニャの胸にくずれるラスコーリニコフの表情。
あれをなぜ私は、救済されたとは見ないか、について。

●ソーニャについて
ソーニャは謎に満ちていた。
何も持っていない。罪を自覚している女。
何も持たない、罪深い女が罪を犯した男を救う。
どちらかが救う-どちらかが救われる、ということが問題ではない。
人と人の関係は、どちらが主体、どちらが客体ということではない。

ソーニャがしたように、道連れとして、一緒に行く。一緒にそこにいる。
救われないだろう相手に、それでも手を伸べるということが大切。
しかも黙って何も言わずに。

若井さんのソーニャは、娼婦性があんまりない。母性的でもない。
かといって、処女性というのでもない。

信仰を持つ人ソーニャの、不思議な強さと輝きがある。
女、女してないというのかな。そこがいい。
そして、ラストシーンのソーニャは、さっき身体表現が硬いと言ったけれど
でも、内面はとても謎めいているように見えた。

例えば、あの場の彼女を、聖母とか、観音様みたいに見るのは違うだろうと思う。
ソーニャという人の内面には、聖母性に還元できない何かがある。それは何か、見えていない。はっきり見せていない。
謎のままである。謎のままで、彼女の心の奥底を全部は見せなかったことがよかった。
簡単なようで、なかなかできない表現だったと思う。
だから、私はとても、若井さんのソーニャには心惹かれる。
出会いから、ラストシーンに至るまでの、心の動きがとても自然だ。
どの瞬間も、ソーニャとして舞台の上におられた。
「どうしてもっと早く来て下さらなかったの」や
「ついていきます」のところなんて、とっても好きですね~。(セリフは後で確認してきます)
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by lily63 | 2007-07-01 11:43 | 演劇 | Comments(0)