カテゴリ:未分類( 94 )   

【重要】サイト移転、新URLのお知らせ!   

皆様へ

いつもありがとうございます。
本体サイト「小山力也さんファンページ」(http://homepage2.nifty.com/haruka63/)をずっとniftyでやっていましたが、niftyの@homepageサービスが2016年9月29日をもって終了するのに伴い、サイトを移転しました。

新URLはこちらです。
「小山力也さんファンページ」
http://haruka63.la.coocan.jp/

これからもどうぞよろしくお願いいたします。
[PR]

by lily63 | 2016-09-20 00:38 | Comments(0)

「声優口演SPECIAL」に小山力也さんご出演!   

サイレント映画に人気声優がライブで声をアテるイベント「声優口演SPECIAL」に小山力也さんご出演!

詳細こちら。
http://www.seiyu-ko-en.com/

●プログラム
作品は『ロイドの巨人征服』(1924年、アメリカ)
声優トークショーもありとのこと。
●日時:11月7(土)・8(日)日、各日とも昼夜2公演。
(小山さんのご出演は11月7日のみ!)

●会場:よみうりホール(東京)
●チケット一般発売:7月25日(土)

(追記2015年7月7日)
本日7月7日に都内で行われた「声優口演SPECIAL」制作発表会見について、下記「ORICON STYLE」等に記事掲載されています。
●「井上和彦、小山力也、野島健児ら意気込み 『声優口演』発表会」
http://www.oricon.co.jp/news/2055550/full/
[PR]

by lily63 | 2015-07-05 10:20 | Comments(0)

「伊藤大助の近代文学朗読会」に小山力也さんご出演   

ツイッターで見つけた情報です。

来る6月15日(日)開催「伊藤大助の近代文学朗読会 第四章」に小山力也さんゲスト出演

概要と小山さんのメッセージがこちらに掲載されていました。
http://www.kichimu.la/file/rodoku5.htm

日時:6月15日(日)18:30開場、19:15開演
会場:吉祥寺「キチム」

「伊藤大助の近代文学朗読会」主宰の伊藤大助さんツイッターによりますと、既に5月19日から予約開始されているとのこと。
https://twitter.com/daisukebon/status/467185970178048001

ググってみたところ、こちらの朗読会、第1回が川端、第2回は太宰と芥川、 第3回が横光で、朗読作品はいつも「当日会場にて発表」されてるようですね。今回、何が来るのかなあ。当日のお楽しみなんですね。
[PR]

by lily63 | 2014-05-22 23:36 | Comments(2)

12月開催「ハリコン3」で小山力也さんのトークイベントあり!   

★ハリコレさんの公式サイトでは、今はまだ「声優の小山力也氏 トークイベント開催決定!!」としか書かれてない。
http://www.hollywood-japan.jp/html/newpage.html?code=29

★ブログ「ハリコレのお店のニッキ」さんには、もう少し具体的な情報あり。
http://blogs.yahoo.co.jp/holly_colle_2010/14861380.html
↑こちらのブログ記事(2013年10月23日付け)で公表されている内容は、
●小山さんのトークイベントがあるのは12月22日(日)<午後>で確定。
●会場は、東京・九段下「ホテルグランドパレス2階のハリコン会場となりの部屋」。
●そして、「当日は約1時間のトークライブを予定しております」とのことです。

続きの詳細公表が待たれますね。
小山さんが、アニメゲーム系ではないトークイベントに出演されるのは、とても久しぶりだと思うので、どういうお話をされるか楽しみです。東京に住んでたら行きたいところなんですけどねー。

(2013.10.29追記)
★ハリコレさんのブログは、別アドレスで「ハリコレ日記」もありました。10月24日付けで、上(「ハリコレのお店のニッキ」)と同記事がポストされています。
http://blogs.yahoo.co.jp/sovjapan/62906156.html

★ハリコン特設サイトもできていました。ただし、小山さんのトークイベントについて、今のところ、まだ追加情報は出ていません。
http://www.hollycon.jp/index.html/guest.html
[PR]

by lily63 | 2013-10-27 11:49 | Comments(0)

「ツダケンロードショー・はてるまでラジオ」第35・36回   

ネットラジオ「ツダケンロードショー・はてるまでラジオ」(パーソナリティー津田健次郎さん、藤原祐規さん)第35回(8月13日更新)、ゲストが小山力也さん。聞いてみました。津田さんがじっくり丁寧に小山さんからいろんなお話を引き出しておられて、ユーモアを交えつつおちついた渋い口調の小山さん。とてもよかったです。

今も、以下2つ(どちらでも)から聴くことができます。
http://hibiki-radio.jp/description/tsudaken

http://www.animate.tv/radio/details.php?id=tsudaken

なお、次回、第36回(8月27日更新)もゲストは小山さんです。

長いですが45分過ぎから、(来年50代に入られるので)「50代に向けてこうなりたいとかってあるんですかby津田さん」という質問や、ぜひやってみたい役などのお話に。やってみたい役のお話で、ドストエフスキーのある作品名が出ました。私、読んだことなくてストーリーを知らなかったのでググりました。なるほどー! ああ、これ、ぜひ観たい、観たいー!

津田健次郎さんが、明治大学演劇学&円の研究所を卒業されているということもあってか、声優としてだけでない、俳優としての小山さんのお話(やってみたい役として、『悪霊』スタヴローギンをやりたいというお話は、私の把握してる限り今までのインタビューで出たことない、貴重なお話です)をうまく引き出して下さって、すごくうれしかったです。

次回、36回8月27日更新分も楽しみです!
[PR]

by lily63 | 2012-08-17 08:52 | Comments(0)

(一応完成版)(3)古典芸術の現代における意味とは何?   

初めて文楽を観たのは、1976年高2のとき、多分。高校の行事として行った鑑賞会で
、朝日座で曽根崎心中。聴覚型人間な私は、人形の美しさより、三味線や語りの音楽の面に惹かれた。大学に入ってから、自分でチケットを買って観に行くようになった。

今の文楽劇場のように賑わってない、前の方の5列に御年輩の男性で長く通ってらっしゃると見える渋いお客さん。真ん中はがらがらで、後ろの学生券で買える席は、そういう渋い客席には不似合いな我々、連れ立って友達と来てるんでない、どっちかというと暗い若者。

いつも(精神的に)背伸びして観ていたが、80年代の学生文化についていけなかった私には、あの朝日座の今と比べたらさびれてた客席がとてもおちつけるものだった。お客さんの数でいえば、今より少なかったにもかかわらず、芸のレベル全体としては、生意気な言い方をお許しいただくと、あのころの方が高かった。今ももちろん高いのです。でも、あのころはもっと高かった。今はちょっと、その、全体にどうもふんわりした感じになっちゃったのね。

以来、子育て期は完全にブランクで観に行ってないものの、今まで観に行き続けている。好きな演者さんは、30年前から竹澤団七さん。もちろん、文楽の場合、「この方がお目当て」というのとちょっと違う。全体を聴きに行っているのではあるけれど。

そういう私として、市長の一連の発言の中にどうしても簡単に見過ごせないものがある。

新作をもっとやれだの、もっとお客さん入るように努力をせよだのと、芸の内容に踏み込んで干渉したこと。お金がなければ、済みません、もう仕方ないんです、切らしてもらいたいと言うしかない。それ以上を言ってはだめ。中身(芸そのものだけでなく、広報宣伝の仕方も中身に入る)に踏み込むことを、補助金を出す側のトップが金と引き換えに口を出してもよしとする、これを全然OKとして認めてたらどうなるか。文楽に口を出したからだめなのでなく、どのジャンルであっても、お金を出す権力を与えられてる立場の者が、芸の内容に口出すのは、やってはいかんこと。

もっと努力を、の根拠になっている、「大阪はお客さん少ない」「若いファンを獲得してない」「わかりやすく伝える努力をしていない」これは全部嘘。

「大阪はお客さん少ない」、確かに数字として5割という数字が上がっているが、私はいつも行ってて、入りが5割だった客席など見たことはない。土日に行くと、いつもほぼ満席か少なくても8割の入り。平日はもっと少ないんでしょうね。だから全体としては5割になるのか。確かに東京と比較したら入りは少ない。しかし、それは東京と大阪で市場規模が全く違うから当たり前。分母が違う。80年代のお客さん少なかった朝日座を想い浮かべるとき、今の文楽劇場は、「いつも賑わってるなあ」というのが私の実感。

5割と言う数字だけ見てたらだめ。さきの「バチ当たり舞台評判記」様の記事によると、大阪だけで年間9万人の集客があるとのこと。大阪で本公演だけとっても年4回あって、おおかた3週間(夏は2週間ぐらいか)毎日昼夜2ステージやってて、この不況下の大阪で、古典芸能で、そんなに毎日満員となるはずなどなく、9万(これちょっと多すぎるような気もするが、本公演以外のもの鑑賞教室とかも全部足したらそれぐらいなるかな)は十分な数字。

「若いファン獲得してない」これも嘘。今の文楽劇場にお年寄り70代以上の人しか来てないとお考えか?若い新しい観客は、30余年前の私もそうだったように、どの時代に文楽にも割合は少なくても必ずおられた。そのときそのときで「初めて観に来た若い人」は常に数は少なくてもおられて、更にその中に今も観続けてらっしゃる方がおられるからこそ、ることが今までずっと続いてるからこそ、今の文楽劇場の客層の幅広さがある。ごく若い御嬢さんもいる、30代のおしゃれなシティボーイ風の方あり(なんか死語かなこれ(笑))、お友達と連れ立ってこられている中年の方あり、もちろん御年輩の方は必ずいらっしゃり。客層はむしろ、ほかのジャンルより広いぐらいじゃないの?と思う。若い人少ない? はあ? 何言うてはりますのか。若い人、来てはりますやんか、今までも今も!文楽劇場、お年寄りだけが観に行っているというイメージを持たれている方がいらっしゃったら、それは実際とは違います。

「わかりやすく伝える努力を文楽側がしていない」いやこれはねえ、そりゃ不十分なという言い方をしたら、なんでもそうです。が、十分にわかりやすく伝えてはると思いますよ、私は。字幕、イヤホンガイド、懇切丁寧なパンフレット、毎公演、公演内容にちなんだ資料室の展示、本公演だけでない初心者観客向けの鑑賞教室等の実施。夏公演では、3部制にして、1部当たりの時間を短くして、子ども向けのプログラムを午前の部に持ってくる。この子ども向けプログラムは本当に意義あることで、舞台を食い入るように観て楽しんでいるお子さん達でいっぱいでした。子ども向け公演こそ、文楽の観客の裾野を広げる地道な努力です。無味乾燥な地下鉄駅通路の壁に貼り出されている毎本公演ごと美しいポスター。本公演に付随しない、普及啓蒙のための活動は今までも今も演者さんはいろいろされているはず。特権意識であぐらをかいているような言い方は言いがかり。

「新作やってない」これも大きな間違いで、新作は今までに何作も作られてきてるし、本公演にもかかってる。他ジャンルとのコラボも行われてる。

他ジャンルとのコラボは、1本しか見てなくて、偉そうには言えんのですが、その1本とは、栗崎碧監督の「曽根崎心中」。人形という存在のもつの官能美を強調した映像。これ東京で81年に公開されったらしいのだけど、私が観たのは大阪で、83年だった記憶。ちょっと曖昧。毎日ホールかなあ、いや、あんな広い場所のはずない、サンケイホールか。

改善すべきはあるとしても、偉そうに市長が口出しして言うことと違いますわ。

まあ、古典芸能がそんなに「わかりやすい」はずはないので、また、全国民、全市民がこぞって支持するようなもんではないわけで(またそんな状況になったら、それもおかしな状況だと思う)、文楽が、今までどおりに、芸の伝承をやっていかれるように、口は出さず、金は出す。どうしてもお金ないというなら、もうカットしはったらよろしい、でも口は出すなと。

能狂言、歌舞伎、文楽も、伝統芸能でありながら、保護していくべき古い価値という面だけでなく、現在に生きるエンターテインメントとしての面を持っていて、一定のお客さんを集めることに成功してるジャンル。多くの芸能が滅びてしまった中で、時代にうまく合うように中身を少しずつ変えながら、今まで続いてきた。今の能狂言も歌舞伎も文楽も、それが最初に成立した時代のものそっくりそのままを復元してやってるんではないねん。しかし、あんまりもうこれ以上、ごろっと変えたりしないほうがいいと思うので、保護をきちんとやるべき。

つまり、日本の誇るべき古典芸能ってことですか?

いや、それはちょっと違う。自動的に「日本の誇るべき」とか言うてるだけではあかん。

常に古い時代の芸能が古くなり、新しい芸能にとって代わられ、古いものの中で古典として尊ばれるものあり、完全に忘れ去られるものもあり、それでも前代のものは次代のものに、同時代のものはお互いに、影響を与えながら、日本の芸能史文学史は続いてきた。完全に忘れ去られたものといっても、テキストとして結構残っている。なぜ残ってるのか?自動的にたまたま残ったのでない。古い文学や芸能の価値を愛して、残し伝えていこうと思った酔狂な人たちが歴史上どの時代にもいたから。

古い文化が跡形もなくなくなっておらず、写本や活字本の文字テキストとして伝わっているとか、生身の演者さんが演じる生きた芸能として今に伝えられていることは、日本の社会がとにかく続いてきたことのあかし。その芸能が生まれた時代にはそれに熱狂し、愛した人達がいた。時代遅れになった時代には、そのもう時代遅れなもの中に価値を見出し守り伝えようと考え行動した人達がいた。この流れそのものが、何かおごそかなものだ。ああ、そうやってとにかく続いてきたのだなあと思う。

いや、それはわかりますが、あんた、古典古典って古典というだけでそんなに偉いん? いや、古典が偉いんではない。世間の評価、国の評価も本当は関係ない。現代のものでない、古い多様な芸能・文学・美術工芸がいろいろ伝えられて残っている、残ってること自体が、社会が続いてきたあかし、社会の懐の深さみたいなものなのよ。

古典の現代における意味とは? じゃあ、あなたが一番言いたいのはそこなの? 「古典の意味=社会の存続のあかし、人が生きてきた営みのあかし、and社会の懐の深さのあらわれ」説?いえ、それは二番目の意義やねんな。じゃあ一番目は何なん? 

古典芸能観る、古典文学観る、美術工芸なら正倉院御物を観る、ここで「私(鑑賞者)」に起きてる感動は、もう生きてない過去の遺物を教養主義で有り難がってるわけではないねん。現代人の「私」が古典を鑑賞するその意味はどこにあるか? 現代を今を生きてる「私」が、時空を自由に超えて、過去のものと向き合って、価値観も社会体制も違う時代に生まれたものに感動することができる、その表現の細かい襞を味わうことができる。人間は今生きてるこの社会、この場に縛られて、短い限られた時間しか生きられないんだけれども、古典があることで、鑑賞という行為を通して時空を飛び超えて味わう体験ができる、それは人間の有限性の持つ辛さを軽くしてくれ、今ココに縛られるほかない心をいっとき自由にさせてくれる広がりを持つ。これが、古典の持つ一番の価値じゃないのかなあ。
[PR]

by lily63 | 2012-07-19 00:47 | Comments(2)

(一応完成版)(2)文化の保護・振興に税金を投入するのはどういう根拠があってされてることか   

大阪市の文楽への補助金カット問題については
バチ当たり舞台評判記様の7月8日付け記事「大阪市長・橋下徹の文楽批判は文化の否定そのもの」が、問題点をわかりやすくて解説してくださっていて、鋭い分析。

付け加えて何か言えることなどないのだが、自分の考えを整理するために書く。

まず、神津武男氏による、朝日新聞・橋本番アカウント宛ての7月5日付けツイート、このことは押さえとかないといけない。
https://en.twitter.com/Izumonojyo/status/220856970918367232
「文楽協会補助金減額の問題は、協同して文楽協会を設立し、継続的に補助してきた主体である国・府・市が協議すべき事項である。技芸員と相談しようとすること自体に行政手続き上の瑕疵があるのだ、という理解を、記者諸氏には前提としていただきたいところ。」


「協同して文楽協会を設立し」とは、経過が大阪市HPのここに載っている。

で、ここら辺のことについての、バチ当たり舞台評判記様の分析はというと、以下一部引用。
「橋下が批判する公益財団法人文楽協会がなぜこんなにダメダメかというと、確かに彼が言う通り、大阪市とかからの天下りが多くて、文楽についての知識や能力がある人達の組織じゃないから。そもそも国・府・市・NHKが補助金を出し合って作られて、そのときから天下りがいたのかな? で、国立劇場ができたタイミングでなくなるはずが、なぜか実権が弱まったかたちで残っちゃったんだってね。だから文楽協会が改革されるべきだというのは当事者含めてみんな思っているんじゃないかという気がするけど、それが文楽そのものの否定と結びつけて論じられているところがね・・・。けど文楽協会は大阪市の外郭団体でも何でもなくて、主務官庁は文部科学省。なのに、まるで市のものみたいにえばって改革迫って、いくらなんでも度が過ぎているよねえ。」


松竹(企業)が見捨てた芸能を、守り継ぐべき郷土の伝統芸能であり、国の文化財であるからとして、国、府、市が協同して税金を投入し、保護と振興を図ってきた。この流れ自体は、極端におかしなものではない。市として今どうしてもお金がないから、補助金を削減か廃止かしたいというならば、神津様がおっしゃっているように、市として文科省、府、公益法人文楽協会、独立行政法人日本芸術文化振興会との協議の場を持って、「お金がないんです、申し訳ないが、うちはもう今まで出してきた補助金出せませんのです」と申し出て、さあどうするかを5者が相談して決めていくべき事項だった。ただそれだけをすべきことだった。今まで伝承されてきた芸能そのものの中身の改変を補助金を「出してやる」ことと引き換えに演者さんに迫って行くような(「努力」という美しい名目でもって)筋の悪い発言をしたり、演者さんをさらし者にするようなことは絶対にやってはだめなことだった。

本当は、今起きてるような、時の自治体の首長による補助金廃止や、ただいま上演されている芸能の中身に踏み込んだ干渉は、予想できた事態ではあるので、そういうことになってややこしいことにならぬよう、国は文楽劇場をつくった時点で、独立行政法人日本芸術文化振興会だけに窓口を一本化して、国が文楽の保護と振興の主務者として取り組むという形にしていたら、すっきりしてた形になったし、ここまで言いたい放題に攻撃されることはなかったんかなあと思う。

文化財指定と、文楽協会設立の時間的先後関係は?
国が文楽を、文化財保護法による重要無形文化財に指定したのは、1955年、昭和30年(ウィキペディアによる)。
文楽協会設立は、昭和38年(上記大阪市HPによる)。かつ、バチ当たり舞台評判記様で書かれているように、文楽協会は主務官庁は文科省である公益法人。

市長の発言の流れは、複数の問題をわざとごっちゃにして発言して、人を誘導していく手法。
上記、大阪市HPで、「芸術文化に関する公的助成のあり方については、行政の価値判断のみによる特定団体に対する継続的な運営補助金は見直すという橋下市長の方針の下」とある。「行政の価値判断のみによる特定団体に対する」云々は、大阪市が正しくない価値判断を過去に行って、正しくない価値判断のもとに助成がなあなあで続けられてきたような口ぶりなのだが、やはり、他の分野と文楽への助成の性格で、違うのは、文楽は無形文化財に指定されてるものであり、形としては国だけでやってるものではないが、文化財保護行政の一貫として補助が行われているという点。ここを抜かしたらだめで、自治体として補助金を出すことに参加してる大阪市の場合も、過去の大阪市が間違った判断をして間違った判断のままずるずる補助金出してきたわけでなく、我が国の、文化財保護法に基づく文化財保護の一端をご当地の自治体として一端を担わせていただいてきたという性格のもの。

バチ当たり舞台評判記様のおっしゃる分析では
「文楽は興行であると同時に国の重要無形文化財であって、ここに、彼の言葉をそのまま使えば「国税・地方税を投入する根拠」が発生する。要するに二人とも、「政府及び地方公共団体は、文化財がわが国の歴史、文化等の正しい理解のため欠くことのできないものであり、且つ、将来の文化の向上発展の基礎をなすものであることを認識し、その保存が適切に行われるように、周到の注意をもつてこの法律の趣旨の徹底に努めなければならない」という、文化財保護法第一章第三条「政府及び地方公共団体の任務」に真っ向から反対する、異端の説を述べてることになる。」


しかし、水道や道路や教育や福祉に税金使うんはわかるけど、文化は、結局一部の人しか見てないもんに税金使われんのは(誰もが行く学校や誰もが使う水と違って)なんか納得いかんねん。お金ないねんやったら削られても文句言われへんもんなんちゃうん? 家計かて収入減ったら、支出減らす、これ当たり前ですやん。

いや、収入減ったら支出減らさなあかん、これは自治体でもその通りなんやろうけども、そもそも、あらゆる税を投入する事業は、その事業から直接受益する個人個人のために行われてるんではない。現象としては、個人を助けてるかのように見えるものでも、一応の考え方は、事業を税金でやる根拠は社会の存続のため。社会が安定して存続し、人がその中で安心していけて、日本の社会という器が末代まで続いていけるようにするため。器の中に住んでる個人を助けるためでない。それが「公」というもので、個人を助けるのはけしからん、自分でやれ、文化助成の場合なら、好きな人が自分のお金払って行ったらよろし、という話になってくるのが、どもう何か話がおかしい。

財源ないんでもう幾つかの事業は廃止にせなしゃあないねんという場合、「公」として社会の存続のためにやっている(お金が余ってるさかいにあなたに手を差し伸べて助けてあげましょうというものではないということ)ものである以上、「これどう見ても無駄だからカット」という評価は、一般家庭の家計とは性格がちゃうねんから慎重にやっていかんとあかんもんのはず。いや、どう見てもこれ無駄な補助金ちゃうん? というのがあるのはわかります。ただ、考え方として。

では、文化への補助って何なのか。国は、文化財だけでなく、新しいものに対しても補助金を出してるが、そううやって文化の保護(それがつぶれないようにする)・振興(ますます盛んにする)を各種の法律を整備して税金で行う根拠は? 市場原理の中に多様な文化をほうり出し淘汰されてしまうに任せるのでなく、一定の保護策を取って、古いものも新しいものも、1つの物差しで価値を測れない、もちろん集客の量の多寡でその価値を測れない多様で豊かな文化が現実に盛んに行われております、我が国はそういう「きちんとした」社会ですという形にしておくことが対外的に国として必要だという考え方。古~い伝統的なもの、新しい前衛的なもの、その中間のもの、いろんなジャンル、多様な文化が盛んに行われてないような国、文化の保護を一切行わないような国は、国としての威信を保てない、それでは外国と対等に付き合ってもらえないのだという考え方。が、多分ある。自治体がやる場合は、そこに人が安心して暮らせる豊かな地域をつくるため、という意味合いが付け加わる。


市場原理で勝ち残れるようなものだけが残り、それ以外の文化は皆淘汰される社会は、ものすごく殺伐とした社会。今まで、一定の補助を文化に対して行ってきて、それでも今のような殺伐さ。国と自治体が文化の保護から完全に手を引いたら、なお一層殺伐とした社会になっていく。市場原理に任せると多くは絶滅してしまう文化的なものを守り、各地で息づかせるのを助け、社会をつないでいくことは、「公」の仕事の大事な部分の1つで、「公」でないとできない仕事。一部の愛好者(国民全体、府・市民全体から見たら、どのジャンルのお客さんだってごく一部の人である)個人の鑑賞を助けてるわけでも、演者さん個人の生活を、その人らを特別扱いして助けてるわけでもない。

遺跡を保護しつつエリア全体を整備して資料館つくり、公園にして誰でも遊びに来れる場所にする(納税者への還元が目に見えやすい)、といった保護と違い、生の芸術分野への助成は、納税者への還元がわかりにくい。わかりにくいというかほとんどの人にとっては「私には関係ないもの」「そんなん血税の無駄やからやめて」と思える。

でも、本当に、市場原理の中で勝てる文化だけが生き残り、ほかには何もない社会に地域に、住みたいと思うか。私が行っても行かなくても、「古いものも新しいものも多様な文化が現にある」ことに意味がある。「私は行ってるよ素晴らしいよ、いや私は観に行かないよ要らないよ」の話に持っていくと話がおかしくなる。

国としての威信を保つ、社会の安定を保つ、という目的で行ってる公の仕事。基本はこの社会の存続のためにあるもの。それが文化に対し税金で行われる助成の意味。

個々人の受益のためにやってるのでない。

--------------------
かなり無理があるが、実態としてはどんなに個人の受益のためにあるもののように見えてるものでも、一応は(一応と言っちゃうのは、なんかこれって公的な意味ほんまにあんの?無駄でしょう、と言いたいような事業もあるから)決して個人の受益のためでないのです、という話の筋を書きました。
[PR]

by lily63 | 2012-07-18 19:51 | Comments(0)

(書き加えた版)(1)橋下市長的手法の問題   

生まれも育ちも現在も大阪市民な自分の考え粗まとめ。

今まで一度も橋下氏にも松井知事にも、維新の会議員にも投票したことはありません。
橋下氏らの目指すものが本当にすべて実現した暁には、大阪市は今よりもっと住みにくく殺伐とした街になり(今も既に住みにくい)、治安は更に悪くなり、もっとお金は回らなくなり、活力を失って、今以上に衰退する(今も既に衰退してる)ことは明らか。自分が生まれ育ち今も住んでる街を、生身の人間がそこで暮らしてきた、今も暮らしている街を、何かの実験場にされ、壊されていくのを黙ったままでいるのはもう我慢ならんので、書いておくことにしました。

自分の娘2人(大学生)には言うております。「あんたら、もう将来大阪市に住むんはやめとき。このまま進むと、今よりもぎすぎすして殺伐とした、住みにくい、子育てしにくい、治安ももっと悪い街になるから」。

【目次】
(1)橋下市長的手法の問題←今回アップした記事はここまで。続きはまた今度。

(2)文化の保護・振興に税金を投入する根拠は何に基づいてるのかについて
(3)古典芸術の「イマココ」における意味とは何か

--------------------------------
(1)橋下首長的手法の問題点について

大阪市HPに公開されているテキストやツイッターでのご発言、テレビ等でのご発言など読むと、そのご主張は一見もっともらしい、それなりに理屈の通ったもののようにも見えるんだが、発言をよく読むと、
●攻撃したいターゲットの、攻撃して効果(相手にダメージを与え、弱らせるための効果)がありそうな「弱点」「問題点」について、実態とは違っている(少し違う、又は全く違う)ことを堂々と、あたかも事実であるかのように述べたてる。
●一部にある問題点をもって、その全体すべてがペケであり真っ黒であり、その問題点を正すためにはすべてを総取り替えする以外ほかもう道はないのだ、という論理を展開する。
⇒総じて、「正していくべき」としている様々な問題について、一見(少なくとも部分的には)正しいように見えている市長のそれぞれの問題に関する現状認識は、実は、現状に対してあんまりちゃんとした押さえ方をされていない。

●現状認識が甘い(あまり緻密でないという意味)だけでなく、主張の前提になっている認識(自治体が税金で事業をするのは何のためにしてるのか、公立学校教育は何のためにあるのか等の大きな問題についての)がそもそも間違ってるか、間違いとは言えない場合でもかなり浅はか。

●余りにも市場原理万能主義・至上主義に楽観的に立ち過ぎ。世の中には、市場原理で回してはいけない場所がある。その分野に市場原理至上主義を持ち込むと、受益者にとって益より不利益のほうが大きくなり、結果取り返しのつかない大変なことになる場所がある。そこを全く見ようとされておらず、物事を単純にとらえ過ぎている。(まあ、あとは知らんということでしょう。市民が選んだんです、市民に選ばれた俺の施策の結果、どういう大阪になろうと、その責任は俺にはなく市民の自己責任という論理。)

●自分がよくわかっていないことについて適当なことを適当に言って、叩きたいターゲット・敵を次々つくって、叩きたい分野を強制力で恫喝も交えて「改め」させて、自分の「改革者」としてのイメージを維持していく。タレント時代なら、御自分のキャラを作って、それで売って、人気を維持して、事務所は仕事取ってきて……これは1つの商売なんだから(ケーキ屋さんはケーキを作って売るのが商売、タレント時代の現市長は「敵をわかりやすい強い言葉で叩くキャラ」としての自分をマスコミに商品として売るのが商売)、何をされようが自由だった。しかし、今や自治体の首長という公職、重職に就いておられる方が、タレント時代と同じ仕事のやり方を、テレビタレントとは責任の重さと影響力の及ぶ範囲も全然違う仕事においても相変わらず続けておられることが大きな間違い。

●自治体という公の場所で、自分のやりたい施策をやりたいようにやるために、「○○は真面目に働き血税を収めている市民の敵」というイメージを次々作り上げては、実態と異なる嘘を一見もっともらしい理屈で装って堂々と述べ、汚い言葉で攻撃し、自分のやりたい施策を通そうとする。このやり方がいつまでも通用すると思っておられるところに、自分とこの自治体の市民と職員に対する、敬意もなければ信頼もない。

●やり方が少々乱暴でも、施策の中身が正しかったら、長い目で見て市民にとっていいことなんじゃないか。→市長という公職・重職にありながら、手法がここまでひどい方が、市民に敬意も信頼も持ってない方が、施策の中身だけは市民のためになることをやってくれるとは、そんな甘いもんではないと思います。市長の打ち出している「今あるものをやめて別のものに取り替える」を、1つ1つ詳細にチェックしているわけではないですが、目につくところだけ拾ってみても、これがほんまに全部実現したら、おそらくここではこういう問題が起きる、あそこではああいう問題が生じる(また別の場所ではこういう問題が……以下省略)、結果「個々の制度は今より悪くなる」「え?何で?こんなはずじゃあなかったのにということになる」、プラマイの差引をすると市民にとって差引はマイナスというものばかりに見える。

●しかし、私がもっともゆるし難いのは、人の感情=「「自分よりいい暮らしをしてる人」(と自分が思ってしまう相手。それは生身の名前のあるどなたか個人ではなくて、記号化されたもの。「年収○○万ももらってる人」、「仕事をしない公務員」、「補助金でぬくぬくと生きてる奴ら」などなど)に対する妬みや劣等感」を巧みに利用して、対立をあおって、支持・共感を広げていこうとする、余りにも下品な手法です。人には、妬みも劣等感もある。いや、ない人もおられるか。でも、私にはあります、今もある。市長のあの過剰なルサンチマンに満ちた発言を聴いていると、子どもの頃から今までずっと強かった、でも今はもう50歳も過ぎてある程度克服できた(克服というのは劣等感がなくなったというのでなく、いろいろだめだめな自分を自分で受け入れられるようになったということ)と思っていた自分の世間に対する劣等感が刺激され、掘り起こされてしまう気がして不安になる。

他人様には言えない劣等感(私自身のことです)は、その個人の問題。別に生涯かけて必ずしも克服されねばならんもんでもない。

問題は、政治家であり公職についてる人が、自分がやりたいことを通すために、人の立派でない感情を巧みに利用してあおって行く、このやり方の持ってる下劣さ。

まあ、あんまり上手いやり方でもないんよね。余りにもワンパターンなので、「自分は皆さん庶民の味方です。○○は皆さんの敵」論は、もう底が見えてしまってるから。市長の政策が完遂した暁には、より貧しい家庭の子ほど、より厳しい影響を受けることになります。暮らしとは、今日明日の「イマココ」のもの。改革がやっぱり間違いだったので、ごめん、やり直すわというのは、通らない。一度壊してしまうと、もとに戻そうと思ってもできないし、仮にできたとしてもものすごいコストがかかる。

●自治体の首長という、高度で難しい仕事をやり通せるだけの能力(自治体が行っているそれぞれ専門性が高く複雑なたくさんの仕事の勘所(その施策が何故何のためにあるか、どういう経過があってできた施策か、コストパフォーマンスの評価)を、話を聞いてぱっと理解できるだけの頭の良さ。職員のやる気を引き出してその能力を十分に発揮させる統率力。それなりにある程度成熟した人間観。きちんとした言葉で市民に説明する国語力。)をこの方は元々ちょっと欠いておられたのかもないかなあと、ここまで長々と書いてきて思っています。今までは、幾らなんでも、あれは有権者の支持を得るためにキャラとしてあのように振る舞っておられるのであって、テレビで見たままのあの通りの方ではない、もっと本当は頭のいい有能な方のはずだと、支持はしてなくても、思ってたのですが。
[PR]

by lily63 | 2012-07-18 18:06 | Comments(0)

コナン映画のポテチ   

昨日、セブイレで買ってきました。カルビーの商品、コナン映画『11人目のストライカー』のポテチ、その名も「謎の味」、大阪編(赤)と東京編(青)があります。

f0008737_652668.jpg


「謎の味」なので、パッケージ裏面に「3つのヒントから、隠された味の正体を探ろう!」とまずありまして、大阪編は「ヒント1 大阪で生まれた鉄板焼きで、キャベツを使わないことが特徴だよ!」。ヒント2・3は省略(というか袋の裏面の写真も撮ればよかったのですが、面倒で、済みません)。

「答えはパッケージの内側に」ってことで、袋を開けますと……。

続きを読む
[PR]

by lily63 | 2012-04-20 06:57 | Comments(0)

「オジサマ専科」イベント   

ドラマCD「オジサマ専科 Vol.2 Memories~母の手帳~」に小山さんが参加されているとのこと。
CAST:小山力也さん、中田譲治さん、堀内賢雄さん ほか(五十音順)
http://www.twofive.co.jp/cd/ojisama.html#vol2

公式サイト内に「オジサマ専科 Vol.2 Memories~母の手帳~」出演者お三方の収録インタビューも掲載されています。
http://www.twofive.co.jp/cd/ojisama_recreport.html#vol2

「あからさまにズバズバと言うのではなく、そっと支えてくださる方に憧れますし」、この辺は小山さんの本音っぽい女性観がうかがえるような気がしますねえ。


で、皆様既にチェックされてらっしゃると思いますが、
この「オジサマ専科」シリーズのステージイベントが6月に、クラブチッタ川崎で開催されます。
イベント名:「オジサマ専科 Un Jour Spécial 〜特別な一日〜」
実施日:6月9日(土)昼夜2公演
会場:クラブチッタ(川崎)
チケット発売:4月28日(土)
出演者は、小山さんはじめ豪華声優陣。
詳細は以下のリンクから。
http://www.twofive.co.jp/cd/ojisama.html
http://www.twofive.co.jp/cd/ojisama_20120609.html

「是非オシャレをしていらして下さいね」とあるのが、どの程度のドレスコードなのかが気になります。本当に出演者が豪華で、近かったらちょっと潜入してみたかった気もしますねえ。
[PR]

by lily63 | 2012-04-19 00:04 | Comments(0)