(一応完成版)(2)文化の保護・振興に税金を投入するのはどういう根拠があってされてることか   

大阪市の文楽への補助金カット問題については
バチ当たり舞台評判記様の7月8日付け記事「大阪市長・橋下徹の文楽批判は文化の否定そのもの」が、問題点をわかりやすくて解説してくださっていて、鋭い分析。

付け加えて何か言えることなどないのだが、自分の考えを整理するために書く。

まず、神津武男氏による、朝日新聞・橋本番アカウント宛ての7月5日付けツイート、このことは押さえとかないといけない。
https://en.twitter.com/Izumonojyo/status/220856970918367232
「文楽協会補助金減額の問題は、協同して文楽協会を設立し、継続的に補助してきた主体である国・府・市が協議すべき事項である。技芸員と相談しようとすること自体に行政手続き上の瑕疵があるのだ、という理解を、記者諸氏には前提としていただきたいところ。」


「協同して文楽協会を設立し」とは、経過が大阪市HPのここに載っている。

で、ここら辺のことについての、バチ当たり舞台評判記様の分析はというと、以下一部引用。
「橋下が批判する公益財団法人文楽協会がなぜこんなにダメダメかというと、確かに彼が言う通り、大阪市とかからの天下りが多くて、文楽についての知識や能力がある人達の組織じゃないから。そもそも国・府・市・NHKが補助金を出し合って作られて、そのときから天下りがいたのかな? で、国立劇場ができたタイミングでなくなるはずが、なぜか実権が弱まったかたちで残っちゃったんだってね。だから文楽協会が改革されるべきだというのは当事者含めてみんな思っているんじゃないかという気がするけど、それが文楽そのものの否定と結びつけて論じられているところがね・・・。けど文楽協会は大阪市の外郭団体でも何でもなくて、主務官庁は文部科学省。なのに、まるで市のものみたいにえばって改革迫って、いくらなんでも度が過ぎているよねえ。」


松竹(企業)が見捨てた芸能を、守り継ぐべき郷土の伝統芸能であり、国の文化財であるからとして、国、府、市が協同して税金を投入し、保護と振興を図ってきた。この流れ自体は、極端におかしなものではない。市として今どうしてもお金がないから、補助金を削減か廃止かしたいというならば、神津様がおっしゃっているように、市として文科省、府、公益法人文楽協会、独立行政法人日本芸術文化振興会との協議の場を持って、「お金がないんです、申し訳ないが、うちはもう今まで出してきた補助金出せませんのです」と申し出て、さあどうするかを5者が相談して決めていくべき事項だった。ただそれだけをすべきことだった。今まで伝承されてきた芸能そのものの中身の改変を補助金を「出してやる」ことと引き換えに演者さんに迫って行くような(「努力」という美しい名目でもって)筋の悪い発言をしたり、演者さんをさらし者にするようなことは絶対にやってはだめなことだった。

本当は、今起きてるような、時の自治体の首長による補助金廃止や、ただいま上演されている芸能の中身に踏み込んだ干渉は、予想できた事態ではあるので、そういうことになってややこしいことにならぬよう、国は文楽劇場をつくった時点で、独立行政法人日本芸術文化振興会だけに窓口を一本化して、国が文楽の保護と振興の主務者として取り組むという形にしていたら、すっきりしてた形になったし、ここまで言いたい放題に攻撃されることはなかったんかなあと思う。

文化財指定と、文楽協会設立の時間的先後関係は?
国が文楽を、文化財保護法による重要無形文化財に指定したのは、1955年、昭和30年(ウィキペディアによる)。
文楽協会設立は、昭和38年(上記大阪市HPによる)。かつ、バチ当たり舞台評判記様で書かれているように、文楽協会は主務官庁は文科省である公益法人。

市長の発言の流れは、複数の問題をわざとごっちゃにして発言して、人を誘導していく手法。
上記、大阪市HPで、「芸術文化に関する公的助成のあり方については、行政の価値判断のみによる特定団体に対する継続的な運営補助金は見直すという橋下市長の方針の下」とある。「行政の価値判断のみによる特定団体に対する」云々は、大阪市が正しくない価値判断を過去に行って、正しくない価値判断のもとに助成がなあなあで続けられてきたような口ぶりなのだが、やはり、他の分野と文楽への助成の性格で、違うのは、文楽は無形文化財に指定されてるものであり、形としては国だけでやってるものではないが、文化財保護行政の一貫として補助が行われているという点。ここを抜かしたらだめで、自治体として補助金を出すことに参加してる大阪市の場合も、過去の大阪市が間違った判断をして間違った判断のままずるずる補助金出してきたわけでなく、我が国の、文化財保護法に基づく文化財保護の一端をご当地の自治体として一端を担わせていただいてきたという性格のもの。

バチ当たり舞台評判記様のおっしゃる分析では
「文楽は興行であると同時に国の重要無形文化財であって、ここに、彼の言葉をそのまま使えば「国税・地方税を投入する根拠」が発生する。要するに二人とも、「政府及び地方公共団体は、文化財がわが国の歴史、文化等の正しい理解のため欠くことのできないものであり、且つ、将来の文化の向上発展の基礎をなすものであることを認識し、その保存が適切に行われるように、周到の注意をもつてこの法律の趣旨の徹底に努めなければならない」という、文化財保護法第一章第三条「政府及び地方公共団体の任務」に真っ向から反対する、異端の説を述べてることになる。」


しかし、水道や道路や教育や福祉に税金使うんはわかるけど、文化は、結局一部の人しか見てないもんに税金使われんのは(誰もが行く学校や誰もが使う水と違って)なんか納得いかんねん。お金ないねんやったら削られても文句言われへんもんなんちゃうん? 家計かて収入減ったら、支出減らす、これ当たり前ですやん。

いや、収入減ったら支出減らさなあかん、これは自治体でもその通りなんやろうけども、そもそも、あらゆる税を投入する事業は、その事業から直接受益する個人個人のために行われてるんではない。現象としては、個人を助けてるかのように見えるものでも、一応の考え方は、事業を税金でやる根拠は社会の存続のため。社会が安定して存続し、人がその中で安心していけて、日本の社会という器が末代まで続いていけるようにするため。器の中に住んでる個人を助けるためでない。それが「公」というもので、個人を助けるのはけしからん、自分でやれ、文化助成の場合なら、好きな人が自分のお金払って行ったらよろし、という話になってくるのが、どもう何か話がおかしい。

財源ないんでもう幾つかの事業は廃止にせなしゃあないねんという場合、「公」として社会の存続のためにやっている(お金が余ってるさかいにあなたに手を差し伸べて助けてあげましょうというものではないということ)ものである以上、「これどう見ても無駄だからカット」という評価は、一般家庭の家計とは性格がちゃうねんから慎重にやっていかんとあかんもんのはず。いや、どう見てもこれ無駄な補助金ちゃうん? というのがあるのはわかります。ただ、考え方として。

では、文化への補助って何なのか。国は、文化財だけでなく、新しいものに対しても補助金を出してるが、そううやって文化の保護(それがつぶれないようにする)・振興(ますます盛んにする)を各種の法律を整備して税金で行う根拠は? 市場原理の中に多様な文化をほうり出し淘汰されてしまうに任せるのでなく、一定の保護策を取って、古いものも新しいものも、1つの物差しで価値を測れない、もちろん集客の量の多寡でその価値を測れない多様で豊かな文化が現実に盛んに行われております、我が国はそういう「きちんとした」社会ですという形にしておくことが対外的に国として必要だという考え方。古~い伝統的なもの、新しい前衛的なもの、その中間のもの、いろんなジャンル、多様な文化が盛んに行われてないような国、文化の保護を一切行わないような国は、国としての威信を保てない、それでは外国と対等に付き合ってもらえないのだという考え方。が、多分ある。自治体がやる場合は、そこに人が安心して暮らせる豊かな地域をつくるため、という意味合いが付け加わる。


市場原理で勝ち残れるようなものだけが残り、それ以外の文化は皆淘汰される社会は、ものすごく殺伐とした社会。今まで、一定の補助を文化に対して行ってきて、それでも今のような殺伐さ。国と自治体が文化の保護から完全に手を引いたら、なお一層殺伐とした社会になっていく。市場原理に任せると多くは絶滅してしまう文化的なものを守り、各地で息づかせるのを助け、社会をつないでいくことは、「公」の仕事の大事な部分の1つで、「公」でないとできない仕事。一部の愛好者(国民全体、府・市民全体から見たら、どのジャンルのお客さんだってごく一部の人である)個人の鑑賞を助けてるわけでも、演者さん個人の生活を、その人らを特別扱いして助けてるわけでもない。

遺跡を保護しつつエリア全体を整備して資料館つくり、公園にして誰でも遊びに来れる場所にする(納税者への還元が目に見えやすい)、といった保護と違い、生の芸術分野への助成は、納税者への還元がわかりにくい。わかりにくいというかほとんどの人にとっては「私には関係ないもの」「そんなん血税の無駄やからやめて」と思える。

でも、本当に、市場原理の中で勝てる文化だけが生き残り、ほかには何もない社会に地域に、住みたいと思うか。私が行っても行かなくても、「古いものも新しいものも多様な文化が現にある」ことに意味がある。「私は行ってるよ素晴らしいよ、いや私は観に行かないよ要らないよ」の話に持っていくと話がおかしくなる。

国としての威信を保つ、社会の安定を保つ、という目的で行ってる公の仕事。基本はこの社会の存続のためにあるもの。それが文化に対し税金で行われる助成の意味。

個々人の受益のためにやってるのでない。

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かなり無理があるが、実態としてはどんなに個人の受益のためにあるもののように見えてるものでも、一応は(一応と言っちゃうのは、なんかこれって公的な意味ほんまにあんの?無駄でしょう、と言いたいような事業もあるから)決して個人の受益のためでないのです、という話の筋を書きました。
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by lily63 | 2012-07-18 19:51 | Comments(0)

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