2009年劇団俳優座『村岡伊平治伝』第一次感想   

劇団俳優座2009年1月本公演『村岡伊平治伝』
観劇日:2009年1月10日昼の部
会場:六本木・俳優座劇場

●観劇直後の「第1次感想」
以下は、観劇直後1月11~12日に一気に書いて、12日に当ブログにUPした文章を、その後今までの間に若干修正したものです。今読むと、口調が興奮していて済みません(笑)。               





「第1次感想」開始!
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村岡伊平治伝、観に行ってまいりました!小山さんをはじめ、皆さん本当に素晴らしくて、圧倒されました。若い座組みのエネルギーが溢れた、とっても良い芝居です。皆さん、生き生きと舞台の上で輝いてらっしゃいましたね。これを見逃さなくてよかった~~!! 熱い芝居です。血の通った芝居です。そして、ほんとに熱い芝居を観たら……私の心も、今とても熱いもので満たされています。なんかこう、からからの干物のような心が一気に戻って柔らかくなったようなといいますか(笑)、生き返った~!という感じ。

ああ私は、舞台の上で役を生き生きと生きている小山さん、この小山さんがほんと好きなんだよなあと、観ながら客席で心から思いました。実は、直前に、諸事情によりまして、行くのをやめようとほんとに思ってたのです。でも、ある方に「そんなこと言わないで。あなたは舞台の上の小山さんを見届けようと思わないのか」と強く言われまして、やっぱり行くことにしたのです。小さなことに拘ると判断をミスりますね。 あやうく一生の後悔をするところでした。「行くべきだ」とおっしゃって下さったその方に本当に感謝しています。              

小山力也さん、ほんとに素晴らしい役者さんです。

もっと暗い気持ちになる芝居だと先入観で思っていました。間違いでした。「民衆」「日本人」ということをとても感じました。貧しい日本、貧しい国。娘が身売りされる(村岡の場合、拉致されて売り飛ばされるケースも出てきます)時代。ついほんの数世代前の日本です。民の悲しみ。それでも生きて、生き抜いて行くこと。

ささやかな幸せを願い、何かを成そうとしても運命がその成就を許さず、新しいステージに否も応もなく立たされて、その場所場所で自分を納得させて、自分なりに何かをまたやろうとするけど、それもまた行き詰ってしまう。挫折の連続。でも、心は、やっぱり昔の心をちゃんとどこかで残している。人には言わなくても……。

泣けてきた場面は幾つもありましたが、一番最初に涙が出たのは、おしおちゃんと再会して、互いの気持ちを確かめ合い、日本に一緒に帰ろうと約束するところでした。小山さんの島原方言、素晴らしかったですね。優しい、そして(父方の祖父母は福岡から大阪に若い頃に出てきたので)私にはとても懐かしい九州の言葉。方言=民衆の言葉ですね。

井上さんのおしおちゃんが、亡くなった博多の伯母にそっくりで、黒のドレス姿で舞台にすっと立たれた時、涙が出てきました。このように「私の知っている亡きあの人にそっくり」と思われた方が、きっとほかにもいらっしゃると思います。昔の日本の女。苦労して、尽くして、気丈で、優しくて、暖かい。そういう女が、井上薫さんの中に生きてるからです。

4幕の芝居。1幕、天津床屋時代。2幕、日本領事館と満州。3幕、アモイの村岡海員宿泊所時代。(ここで休憩)4幕、シンガポールの村岡南洋開発公司時代。最後に、伊藤博文に訴える紋付袴のラスト。伊平治はどんどん別人のようになっていきます。1本の芝居なのに、何人もの役の小山さんを観られるような感じで、興奮してしまいます(^^)。天津と、シンガポールでは、もう全然別人ですものね。服装もどんどん変わっていくので、ファン的にはそこも見所ですね。新しく着替えて出てこられるたびに、「きゃあ~っ」と心の中で小さく叫んでおりました。小山さんは、いつも舞台を拝見すると思うのですが、立ち姿がほんとに美しくていらっしゃるのですよね。水もしたたるいい男とは、ほんと、こういうのを言うのだわと、惚れ惚れしました。

一生懸命働く。3度の飯が食えるように。おしおちゃんとどこかで一緒に暮らしたいという希望。ただ幸せになりたかった。小さな暖かい幸せの灯をともす。しかし、上原中尉に満州旅の供として無理やり連れて行かれて、その暖かい希望は挫折します。

あの2幕の終わりの、旅の描写をお一人でなさったところが素敵でした。私はこの芝居をいつも心の中で振り返る時、一番好きなのは、あの一人芝居のようにして演じられた満州旅の描写の部分です。ほんとに上手いよなあ~と思います。また楽しそうに演じておられるわけです。板の上で生きることが楽しくて仕方ないんや、という風に見えます。

旅の終わり、「営口じゃ!営口の街が見える~!」というところがありますね。はずんだ声。やっとこれで旅も終わり、帰れる!おしおちゃんが待ってる!気持ちは先を思っています。ほんとに遠く向こうに街が見えてきたような、実際見えたような気が観客にもするわけです。あのとき、まるで、客席のドアが開いて、中国大陸のどこかの街のひんやりした空気がさあ~っと流れ込んできたような気さえした。ああ、小山さんって、ほんとこういうのがいつも上手いんだよなあ~!って思いました。感情も案外、虚構なのかもしれないんですよね。素晴らしい役者さんにかかると見えないものが見えるような気がする。あるはずのないものもありありと感じる。自分の感情も、そう思ってると思うから、そう思うのかも。

話を戻しまして、上原中尉から下された褒美の包み。きっとお金を下さるだろう。それでおしおちゃんを連れて日本に一緒に帰ろうと思っていたのに、あの日の丸がぱっと広げられた時、「うわあ、こわ~!」と思いました。あれは絶対笑えない。伊平治の打ちのめされた表情。秋元さんと安川さんが顔を出して、権力を甘く見たらあきません、これが権力の本質、と言われたような気がしました。

アモイで開いた海員宿泊所で、女達を救出していましたが、それも行き詰まり、村岡さんどないするんや……出来るだけのことはした。おいは、良かこつばしたかった、立派なこつばしたかった、という挫折の苦しみ。あの場面は、伊平治の気持ちが迫ってきて涙が出ました。小さな幸せを叶えられなかった、おしおちゃんを救えなかった後悔、贖罪、意地が心にあったでしょうか。良かことをしたかった。男って、何でそう立派な偉そうなことを考えたり、言ったりするんだろう、と言うのは簡単なれど、伊平治の胸の奥の悲しみと苛立ち(自分自身に対する)を思えば、笑うことはできません。

3幕の終わりで、女たちを売り払い、それを元手にまた商売を始める。南洋開発の人柱になる、という伊平治の決意の宣言は、突飛なようですが、伊平治が悪人に飛躍する心理、感情の流れに説得力があります。小山さんが上手いのと、ほんとにかっちり作られた戯曲であり舞台なんですよね~。ここまでの場面が本当にきっちりと、舞台上には出ない小山さんの回想で語られる島原時代の話(おかしゃまの言うことを聞くしかなかった。ほんまは、おしおちゃん、あんたに惚れとったんや、あんたと一緒になりたかった。働いても働いてもの暮らし、誰が悪いわけでもないけれど何だかうっとうしい家)も含めて、ず~っと積み上げられてきたわけです。だから、飛躍が自然に見える。弱い者、踏まれ続けてきた者の意地。頭が良く才覚もある男だけに、我慢できないところがある。大きいことをやって世に認められたいという男の自己顕示。万策尽きて、でもこのままで終わりたくないんやという気持ち。おれは、この村岡伊平治は負けへんで。もうええ!これで、次はこれで行ったるんや~!というような。(私が自分の言葉、大阪弁で勝手に伊平治の心中を翻訳しただけで、もちろん九州・島原の言葉をしゃべってるのですよ。)

4幕の悪役になってからが、またかっこいいんですよね~。頬に悪の翳りが見えます。部下に命じる強い声が、惚れ惚れしてしまいます。残忍さもある、ずるさもある。でも、人を従えて行く器量もある男。その名は、小山伊平治です。

セリフをしゃべってらっしゃらない時の、色々な表情が、惹きつけられてほんとに素敵でした。目も耳ももっといっぱいほしいと思うぐらい。 「おまえたちは心の妻」や、「悪いことやったやつはもう一遍悪いことをやらな真人間になられへん、天皇陛下にお詫びを」の演説は、何だか一生懸命になって聞いてしまいました。客席で笑うことはできませんでした。むちゃな論理の奥のその奥に、伊平治の悲しみがあるからです。何回聞いても「心の妻」の演説はぐっと来ると部下が言うのに対して、何か複雑な表情をしたように見えたのですよね。とても心に残っています。あの表情、あそこで、伊平治の心中に去来してたものはいったい何だったのでしょうね。

紋付袴姿での伊藤博文への直訴は……、私はあの場は、伊平治が「立派な人」として物を言ってしまってる、直前まで(紋付袴姿になる前まで)頬に刻印されていた悪の翳りが消えている。何で?とちょっとだけ思いました。もう悪に手を染めてるわけです。でも、「三度の飯が食えるように」と、自分の為じゃなく、棄てられた人達、死んだ人達の為に直訴したあの気持ち、必死の中身は本物です。ただ、もう既に悪人になってるわけですから、立派なこと言えませんという矛盾がある。矛盾してても、言わずにおれないというところに真実があり、悲劇性があり、喜劇性があり、でも笑うことはできない悲痛さがある。その矛盾してるところを、姿と言葉がもう少しにじみ出してほしかった気はちょっとしました。

伊藤博文が去ってからの、だれかおるのか、と悲痛な叫び。あそこはほんとにどきっとしました。権力(あの場では天皇に象徴される支配者)は民衆を絶対に守りませんが、そのことを頭の良い伊平治は自分の体験を通して半ばは悟り、はっきりそう意識してなくても心の奥で絶望しているところはあり、でも、残り半分は、自分達を守ってくれるはず、守ってほしい、と、そこにはおるはずのない「虚構」にすがろうとしている。私はあそこは、ほんのもう少しだけ、時間が欲しかった。伊平治が立ち上がって明るくなるのがちょっとだけ早い気がしたんですね。客席で「ああ!!」と思い、(色々な意味で)打ちのめされるような気分になって、それからめまぐるしく、あれもこれも、もう一度心の中で考えてるわけです。その思考の流れが無理やり強制終了させられたような気分がちょっとしました。「余韻」のための時間をほんのもう数秒だけ、と思ったけど、あのテンポはあのテンポで疾走するところに、今回の演出の持ち味があるので、そういう意味で一貫してるから、やっぱりあれでいいのか。ほかの方のご意見を知りたいです。

悲劇的のヒーローとも、愛らしい人とも、幸せを願う普通の人だったとも、弱くてずるい人だとも、大物ではかり知れない人物とも言える。血も涙も汗も人一倍持っている、人間らしい人間。魅力的で、骨太で、複雑な人、小山伊平治、心を開かせてもらい、またいろいろなことを考えさせてもらいました。「国の貧しさ」ということと、「小さな幸せを願った民衆」ということが、彼の根底にはあり、しかし、人間、置かれた立場立場で、最初の思いとは違う方向に段々進んで行くこともあり、それでもそこで力を自分なりに尽くして生きていく。人の生き方をどうこう言うということは、簡単にはできないことだ、と今、思っているところです。

小山さんが12月にブログでお書きになっていた「草魂」という言葉は、私は最初、ちょっと抵抗がありました。「踏まれても、踏まれても立ち上がる、草の強さ」。(「力也の気持ち。」12月12日更新分)

昔の時代(戦前・日本の近代)、圧倒的に強い権力。いとも簡単に握りつぶされるいのち、暮らし。相対的に弱い立場に生まれた者ほど苦労する。「虫けら同然に」という言葉がありますが、上原中尉の伊平治に対する振る舞いは、別に「虫けら」とさえ思ってない。権力とはそういうもんですね。今も、巧みにはっきりとは見えないようにされているだけで、大きくは変わっていないところがある。その辺を安川さんは込められているはずです。

私の祖父母の代で考えても、戦前・戦中・戦後、時代の流れ、大きな権力に実際握りつぶされつつ、家族、知り合い、力を合わせ助け合って、たくましく生きてきているわけです。多分、この世代の方たち、皆さん、そのように苦労されているはず。明治生まれの祖母は2人とも気丈な芯の強い人達でした。何が来ようが誰が来ようが動じないみたいな。省みて私はほんとに自分が甘いとつくづく思いますが、彼女らの気丈さは、性格がもともと強かったということよりも、それこそ「踏まれても、踏まれても」生き抜くためには、気丈に振る舞い、行動するしかやっていきようがない。家族も自分も守れないから、何があっても心を強くして生きていくしかなかった、ということじゃないかと。でも、その強さは人を蹴落とす強さじゃなくて、気丈であっても心の優しい人たち、皆、権力の強さと自分達の弱さを思い知らされているから、お互いに助け合って、涙も流し合ってきたわけです。

ところが、現代のこの「自己責任社会」で、「踏まれても踏まれても立ち上がれ」ということは、 「苦しくても生きていけ。立ち上がれなかったのは、その人がだめな奴だから。弱いから。はい、さようなら」という、強者の論理にあっさりすりかわってしまう可能性がなきにしもあらずではないか。小山さんはそういう意味でおっしゃったのでは全くないんだけれど、「草魂」を現代の文脈の中に置いたときにどうなるか、という意味で私は最初に拝読したときにそう思いました。

草が焼き払われても、二度と生えられなくても、いいじゃないか。五分の魂は誰にもある。どんな境涯でも、その人が1本の草として生きた輝きは、二度と生えてこなくても、絶対消えない。 誰も思い出してくれる人がいないような場合だって、やっぱり消えない。「もう一度生えて来い、立ち上がって来い」ということが、ものすごく酷な場合ってあるでしょう。泥道に倒れ伏して、そのままそこで死んだら、だめですか。

と、観劇の前には思ってました。ところが実際に拝見してみると……安川演出、ほんとによかったです!

テンポよく進みますので、幕切れまであっという間です。私は前夜一睡もせずに早朝の新幹線で行き、拝見したのですが、眠くなっている暇など、一切ありませんでした。引き込まれて興奮して拝見してますのでね。あの素晴らしい舞台そのものが素晴らしいので、あれを観てしまうと、感想の言葉なんてほんとに無意味な気がします。本当に演劇らしい演劇、現代に生きている芝居を見せていただきました。豊かで刺激的な世界を届けて下さった。小山さん、俳優座の皆様に心から感謝します!
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「第1次感想」終了!
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by lily63 | 2009-07-29 11:10 | 演劇 | Comments(0)

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